『エロの敵』を読みました。

endo_yusa2006-10-16

「木こりになりたい病」再発中のため(注・おばちゃんは年に何回か「木こり」や「尼」になって煩悩から逃れ、山奥で薪を割ったりトラピスチヌ修道院でバター飴を練ったりしながら独りで暮らすことを夢見たりします。別名・中年期モラトリアム。)、各方面の更新が滞っておりますが、今話題沸騰中の本『エロの敵』をようやく読了しましたので、ひとつ感想とご紹介をば。

えー、この本は、おばちゃんがいつもそのサイトを楽しみに読ませていただいているライターの安田理央さんと雨宮まみ嬢の共著ということで、発売前から内容はなんとなくわかっていたのですけれども、期待通りとても面白かったです。いちいち納得して頷きながら読みました。
AVライターである雨宮さんがAVについてのパート、エロ雑誌やエロカルチャーの現場に十数年間携わってきた安田さんがそれ以外の雑誌・インターネット等についてのパートを書いてます。エロメディア全般の歴史、栄枯盛衰の過程が理論的に筋道立てて書かれていて、エロ業界にはそんなに詳しくないんだけど……という方でも、たぶん面白く読めるんじゃないでしょうか。


私はわりと普段から当事者意識が薄いタイプなので、こういう本を読んでも「なるほどなっとく〜」で終わってしまいがちなんですが、あとがきを読んだら、なんとなく焦りを感じてきてしまいました。
引用すると長くなるのでものすごくはしょって言いますと、「エロ雑誌を筆頭に、今のエロメディア界は袋小路に入ってしまった感がある。エロの敵は、エロの価値がなくなることだ」というようなことを安田さんは言ってます。インターネットの普及によってWEB上にはタダのエロ(しかも無修正とか)が溢れ、特に若い世代の人たちにとっては、エロの価値がなくなってきている。その中でどうやってエロは生き残っていくのか。また、そんな中から新しいエロのかたちが生まれていくのだろうか、と。


ご存知かもしれませんが、おばちゃんは、どちらかといえばエロ雑誌もAVも基本的にオナニーの友だと思って買ったり見たりしてきたオナニー原理主義タイプ。
言ってみれば、バリバリのエロ=実用品派でした。
だから「使えればいい」っていう感覚はよくわかるんですよね。でも、わがままなもので、思い入れというものがまったく無くなってしまうという状態は、オールドタイプとしてはやっぱり寂しい。


よく考えてみると、昔自分が苦労して入手したエロが、全て良質なもので正規品であったかというとそうでもありません。今でこそ作品の質が云々なんてことをエラソーに言ったりもしてますが、当時はそれよりもまず「手に入りづらい」というところに価値を見出していたことは確か。実は、今でも我が家の押し入れには、高校時代に買ったり貰ったりしたわりとどうでもいいエロマンガ裏ビデオが勿体無くて捨てられずに押し込んであります。もし、エロ業界の人たちの努力でエロの価値暴落に歯止めがかかったとしても、これから先、そういうちょっと恥ずかしくも甘酸っぱい感覚というものが絶滅していってしまうのかと思うと、三十路オナニー女はヨンボリ気分。これって、モノのなかった昭和一ケタ生まれの人が、すいとんを美味しがるような感覚なんでしょうか。

いちユーザーとして「安くて簡単、実用的なエロがあればそっちのほうがいいじゃん」という流れに共感しつつも、読み終えた後は、自分が厨房の頃から触れてきたエロメディアの世界が変わっていくことに対する焦りを感じ「じゃあ俺は、これからどうすりゃいいのさ」なんてことをふと考えてしまいました。


とにかく『エロの敵』、おばちゃん的にはかなり面白かったので、みなさんも読むがいいです。表紙もかっこいいので、カバーとかつけずに満員電車の中とかでおすまし顔で読むと、男っぷり(もしくは女っぷり)が上がると思われます。よ。