『少女は挿入される生き物』〜女は挿入される生き物

あー、寝た!
GWのレジャーは睡眠でGO!と決めていた私でしたが、今日は本当に寝まくりましたよ。20時間くらい寝たんじゃないか。飯を食ってる間と酒を飲んでる間とトイレに行ってる間と携帯いじってる間以外はほぼ完全に寝てました。しかもあらゆる場所で。
ベッドで寝、朝飯食べて居間で寝、トイレに行ったら行ったで帰りの廊下で力尽きて寝る始末。病気でしょうか。
しかし、ここんとこ性生活(オナニー)もままならぬほど無気力な感じの日々が続いていたのが、おかげでずいぶん回復いたしました。やはり睡眠に勝るもの無しですね。人生における問題の8割は睡眠で解決するような気がします。
ああ、GW後半は、なんとか有意義に過ごしたいものだよ。


というわけで、AV鑑賞からもとんと御無沙汰であった昨今なのでありますが、そんな中、ロリコン男爵を自称する私としてはこれは観ておかねばならないでしょう!という作品を観ました。
AV OPEN チャレンジステージ参加作品『少女は挿入される生き物』堀内ヒロシ監督、HMJM。


「少女は挿入される生き物」。なんとゆういいタイトル! AV OPEN参加作品の中でも秀逸な、この素晴らしくも詩的で煽情的なタイトルに惹かれて観たのですけれども、いやあ、まったくもって期待通りでありました。
なんつっても女優さんがとんでもなくエロカワイイ。ねねちゃん、ひなちゃん、ゆめちゃんという3人のおんなのこのオムニバス形式で、HMJM・HPで確認していただけるとわかるのですが、ねねちゃん・ひなちゃんのイメージシーンなんつーのは、そこらへんのグラビアアイドルもかくやというようなロリエロカワユスっぷりなのですよ。思わずオナニーするのも忘れてぽわーんと見入ってしまいました。単体AVの伝統(?)として、パッケージはギョッとするくらいにカワイイのに本編に入ると「あれ?……それほどでも……」というものがありますが、このビデオに関しては本編を見ても「どうしてこんなに女の子をエロく可愛く撮れるのだろう?」と素直に感心せずにはいられません。ねねちゃんは、カラミの時にはそれなりに柔らかそうなお腹のお肉が見えたりしますし、ひなちゃんもアヘ顔は若干庶民的だったりはするのですが、それもまたロリコン男爵的見地からいえば、いい具合なエロなわけです。特別過激なプレイをしているわけではないのに、欲情とトキメキが一体化した俺の大好物な世界でありました。はあぁぁぁぁ゚・*:.。. .。.:*・゜


とまあ、ここまでは非常によくできた非常にエロい(しかし普通の)ロリビデオなんですよね。しかし、ここからが問題。たぶん作り手からすると、このビデオのキモである3人目のおんなのこ「ゆめちゃん」のパートに入るわけです。
(ちょっとネタバレ的な要素も入ってくるので、そういうのがわかっちゃうと楽しめないヨーという方は、ここ以降は読み飛ばしを推奨します。)

ゆめちゃんは、こういっちゃなんですが、前の2人に比べると、なんというかヒジョーに地味。いわゆる商品的な可愛らしさというものをあまり感じさせない子なんですね。その子が前の2人とは一変して、義理のお父さんとロリコン男性が集う乱交パーティに行き、おじさんたちに次々に中田氏され、最後にはお父さんとセックスする、という過激なシチュエーションのカラミをするのです。でも、プレイ自体は一番過激なのに、前の2パートに比べて反応が単調で、いまいちエロくない。まあ、見た目の問題も多少はあるんでしょうが、彼女は顔立ちこそ地味ですがものすごくキレイな体をしているし(美乳なうえにウエスト55センチ。肋骨抜いてんのか!)、必ずしも美女ばかりがエロいセックスをするわけではないというのはAVを観る人でなくてもわかることです。
で、どうして最後にこのパートをもってきたのだろう?と不思議に思ったところで、種明かし。義理の父親と乱交パーティに参加していたというそのシチュエーションが彼女の10歳の時の実体験であったということが明かされるわけです。
そして、そこからは彼女の告白と、義理の父親との再会を果たすか否か、というドキュメントに突入します。

それでですね。今までも何度か書いてきたことですが、AVを観る側からすると、このドキュメント部分を「面白い」と感じる人と「AVには必要ない」と感じる人とにはっきり分かれると思うんですよ。
まず最初に言っておきたいのですが、私はこのビデオは3パート揃った1本の作品として、すごく面白いと思います。「ゆめちゃん」のパートも無駄だとは思わない。このパートが入ることによって、他のロリビデオとの差別化がはかられていることは言うまでもないし、ドキュメント部分が時間にして4分の1程度であるということや、それを最後の最後にもって来たということによって、すごくうまい具合にバランスがとれていると思う。(見ようによっては特典映像のようにも見えるし。)
でも、やっぱり「ドキュメントAV」と呼ばれるものを見た時に感じるもやもやとしたものは、どうしても私の中に残るのですよねえ……。

ゆめちゃんのカラミがなぜエロくないのか。それはたぶん、彼女がセックスというものがそれほど好きではなく、セックス自体を楽しんだことがないからだと思うわけですよ。
じゃあ、なぜ、彼女はアカの他人とセックスをするのか。AVにまで出演し、自身の特異な体験をもう一度追体験するのか。(ゆめちゃんはスカウトではなく、公募を見て自分でAV女優に応募してきている女の子です。)
インタビューの中盤で、彼女はこういうことを言います。

「(義理の)お父さんは、お母さんを愛していたというよりも、私という娘が目当てで結婚したの。でも、それはお父さんがロリコンだったからなのか、私という子に興味があったからなのかは、わからない」

……ああ、切ない。なんて痛い(泣)。
わからないと言いながらも、彼女はたぶん半分くらいは「お父さんは私という子を好きだったからお母さんと結婚し、ああいう場所(乱交パーティ)に連れて行った」と思ってますよ。ていうか、そう思い込もうとしてる。じゃなければ、そんなことを人に話そうとはしないものです。人に話すっていうのは、自分を納得させること、ある意味自分を正当化する行為ですからね。

作品のそれまでの流れでは、おばちゃんは「少女」というものを、エロスを感じさせるひとつの記号として見てフガフガと興奮していました。が、彼女の話を聞いているうちに、少女は小さくても女であるということ。女のどうしようもない部分、私のようなダメ女子が見ると共感のあまりヘコんでしまう部分をちゃんと持っているのだということを、ありありと思い出させられてしまったのですよ。
「少女は挿入される生き物」というエロくてファンタジックな言葉が、「女は挿入される生き物」となったとたん、急にリアルで生々しくなってしまう。
女は(まあ、すべての女がそうではないですが、ある種の女は)、挿入される生き物です。それは力ずくで犯されるというような直接的な意味ではありません。挿入されるというよりも、あるものと引き換えに挿入されることを黙認しているといったほうが正しいかもしれない。ゆめちゃんの言葉を聞いていると、その「あるもの」というのが何なのかよくわかるんですよ。それは、「自分は必要とされている」「自分には女としての価値がある」「認められている」という思いです。セックスが好きだという気持ちとも、純粋な愛情ともどこか違う……。
……ああ、なんか書いてたら、おばちゃんヘコんできてしまいました。おかしいなあ。実際ビデオを観てるときはここまでヘコまなかったんですけども。やっぱアレですね、文章にするっていうのは危険ですね。その昔、ナンシー関先生が不倫・メンヘル絶好調!だったときの斉藤由貴に「まず詩を書いたりするのをやめてみたらどうか」と非常に的確な指摘をしてらっさいましたが、まさに禿同! 世のメンヘル予備軍はブログとか書くのを即刻止めるべきだよ。みんなやめようぜ! 俺もやめるから!(←嘘。できるわけがない。)


えーと、なんか辛気臭いことをつらつらと書いてしまいましたが、さっきも言ったように『少女は挿入される生き物』は、非常にエロく面白いAVです。カワイイおんなのこが好きな人なら、絶対にヌケます。
でもでもでも。くどいくらいに何度も書いているように、私はAVを、痛くて怖いものだと思いたくない。私は、泣いたり、怒ったり、怖がったりしながらオナニーはできんのです。
オナニーするためにAVを観る人とそうでない人とではまったく見解が違うでしょうから、そんなことをぐだぐだ言うのはバカらしいことかもしれません。でもやはり、「セックスドキュメントとAVは共存できるのか。」「AVにエロ以外の要素は必要か。」については、いつも過剰なくらいに考えてしまうわたくしなのでした。
ああ、今ふと思ったんだけど、もしかしたら、ドキュメント系のAVは雑誌とかでわりと好意をもって取り上げられることが多いので、ちょっと癪にさわるのかもしれん。エロ至上主義者のひがみか……。