【長文】僕、AV雑誌が好きだー♪〜AV OPENとD1-CLIMAX 〜【スマソ】

35歳にして9年ぶりにバイトを始めたので、昼間からオナニーとかしてる余裕がありません。あたりまえだよ! つか、35歳女子がやるのはバイトじゃなくてパートな気がする……。いや、響き的にね……。年収106万(だっけ?)以上だと税金がかかっちゃうんですってよ、奥様。用心用心。


まあそれはいいとして、昨日、愛読しておりますAV批評サイト『雨宮まみの弟よ!』を読んでおりましたら、前回の更新でちょこっと触れた「AV OPEN」について、またまた鋭いことが書いてありましたよ。皆さん読みました? こちらですので、まだ読んでないという人は読むがよかろうですよ。
実はおばちゃん、先週末に友人(AV好き素人2人・AV好き玄人1人)と深夜の歌舞伎町で酒を飲みつつぐだぐだ話している時、ちょうどこの「AV OPEN」について話す機会があったのです。で、そのときに思ったことを、いちユーザーというか、素人の目からちょっと書いてみようと思う次第です。


まず、この「AV OPEN」のことを最初に知った時(たぶんAll About のAVガイドだったと思うんですが)、私は単純に「あー、面白そうなお祭りだなあ」と思ったんですよ。賞金がバカ高いのもおかねもちのデマンドさんらしくて面白いし、去年はその前にドグマのD1-CLIMAXというイベントがあったので、ああ、これをもう少しメジャーな感じにしたもの(ドグマさんスミマセン……)なのだろうなあ、と思ったんですね。
「純粋に売上のみで勝敗を決める」というのも、むしろアリなのではないかと思いました。なぜかといいますと、これもD1-CLIMAXと関係してくるのですが、昨年のD1の「ライター評と売上で勝敗を決める」という方法に、ちょっとスッキリしないものを感じたからなのです。
(あ、こう書くと雨宮さんの文章とまったく逆のことを言ってるようですが、そうじゃないですから!)
以前にも書いたように、私はAVを買う時には、「AV店に行くのが恥ずかしい」という乙女心と「通販のほうが安い」というおばさん心のために大抵ネット通販を利用しているのですけれども、たまに酒飲んで気分がハイになっているような時には、ふらっとAVビデオ専門店を覗いたりします。どんな女優が出てるのかなーとチェックしたり、パッケージを実際に手にとって見てみたりするだけでなんとなく楽しいので。で、そんな時にいつも思うのが、「ビデオ屋に置いてある商品て、片寄ってるなあ」ということ。
ネットで買う時にはあまり感じないんですが、実際にショップに行って陳列棚を眺めてみると、目に付きやすい良い場所の多くが大手メーカー、名前を出すなら「S1」とか「SOD」あと、ミリオン関係に占められているのがわかります。たまに店主の好みなのか「アロマ」や「桃太郎映像出版」なんかがずらりという店もありますけども(笑)、大抵の場合、ショップにおけるメーカーの力関係ははっきりしています。D1-CLIMAXというイベントを打ち、森下くるみというカリスマAVアイドルを抱えているドグマでさえも、在庫は、よく探さないとわからない棚の下のほうの位置に10枚程度しかなかったりする。
私がAV OPENのことを聞いてまず最初に思ったのは、「大手でないメーカーのビデオも、『AV OPEN』という棚に入れられることで、ショップにおいてデマンドやS1と同じ舞台に立てるのではないか」ということでした。SODといえば、直営店もあるし、がなり様効果もあってか全国的に顔のきく大メーカーです。そういうやり方ができるのはSODだからこそだと思いました。AV OPENに参加(?)するショップは都会だけでなく地方にも少なくないでしょう。店の目立つ場所に作品を置いてもらえるだけの営業力の無い、でも面白いものを撮ろうとしているメーカーさんにとっては(もちろんユーザーにとっても)、これはすごいことだと思ったのでありますよ。(まあ、冷静に参加メーカーを見てみると、雨宮さんの言っているようにSOD関連のメーカーが多数だったりするんですが……。)


そして「AVナンバーワンを決める」と銘打ってはいますけれども、ちょっともののわかったユーザーというか、「AV OPEN」というイベントそのものを面白がるようなユーザーは、そう簡単に「1位になったビデオ=これが最も優れたエロいAVである!」とは思わないんではなかろうか……とも思ったのです。
私個人の感じだと、もしギャラの高い単体女優さんを大勢使ったビデオが1位になれば、「あー、やっぱりなあ。こういうもんが普通に売れるんだよなあ」と思うだろうし、500人セックスが1位になったら(あ、実名出しちゃった。てへ)「おー、世の中けっこうオモシロ好きが多いのね。つか、興味本位でAV買う層って案外多いのね」と思うんじゃないかなと。(すみません、あくまで私見ですから。)そして、たぶん私自身が「これ見たい!」と思ったビデオは、健闘しても1位にはならないのではないかと漠然と予想しています。
真剣味が足りないかもしれませんが、外部にいるいち素人から見たら、そんなもんじゃないでしょうか。参加メーカーの偏り問題は別として、「売上だけ」というやり方はむしろお祭りとして潔いとさえ思う。


そこでD1-CLIMAXの話です。こちらでも少し書いたように、今年はどうなるのか知りませんけれども、昨年のD1は「売上による点数が700点、AVライターによるライター評点が300点」という方法で順位がつけられたんですよね。
これは一見、売上のみというルールよりも偏りのない方法のように見えるのだけれども、最終的な結果を見て私が思ったのは「なんか微妙だにゃー」ということでした。
まず、7:3という点数の割り振りが、どういう観点で決められたのかがよくわからないということ。そして、昨年はものすごく結果がくっきりと出たので余計にそう思えたのでしょうが、「売れたもの」と「ライターの評価が高かったもの」がまったく一致していなかったということ。
「良いものが売れるわけではない」というのは、ある意味もちろん正しいんですよ。でも、なんというか、「ライターの評価」と「売上」をまったく分けて考えたというのが、ユーザーとしてみたらしっくりこなかった。

飲みながら友人たちとも話したのですが、本当だったら、公式HPでもAV販売店のHPでもAV雑誌でもいい、どこか、できれば可能な限りたくさんの場所で、ライター評を公表すべきなのではないでしょうか。あ、一般ユーザーのレビュアーを作るなら、もちろんその人たちの感想も。
ものすごくものすごく言いずらいのですが、もう大人ですし、勇気を出して言います。昨年のカンパニー松尾作品に対するあまりのライター評の良さは、ちょっと怖かった。言い方を変えれば、ちょっとだけ、気持ち悪かった。(松尾さん、すみません! 愛してます!!)
それは、作品の良さ・価値が、一般のユーザーレベルにまでしっかりと伝わっていなかったからだと思うのです。ライター評とユーザーの間に温度差がありすぎた。インターネットの個人ページ等では話題になっていたけれど、ダイレクトに熱を伝導させる媒体がなかった。
私は幸運なことに「パラダイス・オブ・トーキョー」という傑作を実際に観ることができたので、その高い評価が正当なものであることや、ライターさんたちの「これを伝えたい」という熱い気持ちが充分に理解できました。でも、観なかった人の中には「なんだよ、評論家ウケするAVなんてどうせ辛気臭くてエロくないオシャレAVだろ。観る気しねえよ」と思った人も絶対にいると思うんですよ。いえね、私もそのケがあるのでわかるんですが、かなしいことに、エロ以外の要素が入っていたり(たとえそれがどんなに突出し優れた感動的なものでも)、編集やパッケージがオシャレだったりすると、それだけで「非エロである」とみなしてしまうオールドタイプの「カストリ系オナニスト」というのは存在するのです! そして、そういうタイプにとっては、ライターさんたちの熱い評価は、時として逆効果に働いてしまったりもするのですよ……。ああ、そう考えてくと、評論て本当に難しいなあ。そもそも、お金を出してAVを観る人と出さないで観る人、オナニーするためだけにAVを観る人とそうでない人とを同列にしたら、感覚に歪みが出るのは当然という気もするしなあ。


でも、おばちゃん、これは声を大にして言いたい。AVライター、AV評論というものは必要であるし、AVファンにとって決して無駄なものではないと!


考えてみれば、AVに限らず、批評って面白いものですよねえ。その文章単独では成立しないんですもの。まあ、たまにはその批評だけで一大叙事詩のようになっちゃってるものすごい批評もありますが、大抵は元となる作品を観た人、もしくはこれから観てくれるであろう人に向けて、同じ作品を共有するという前提のもとに書いている。私には「批評」と「レビュー(いわゆるあらすじ紹介的な)」とは、似て異なるもののような気がします。レビューというのは、まあこう言っちゃなんですが、極端な話パッケージをまるうつしにすれば書ける。何発発射して、女優さんは何カップで……なんてことを書けば情報としては十分です。でも、批評に関しては、お金をもらって書いているプロの人も、そうでない人も、相手にちゃんと自分の感じたことを訴え、それを伝えようとしないと意味がないと思うのです。その「訴えるもの」が伝われば、ユーザーはそのAVを観る(もしくは観ない)という形でそれに応える。


えーと、ちょっとこんがらがってしまいましたが、何を言いたいのかといいますと、だからこそD1の審査方法にライター評を加えるのであれば、それが売上に結びつく形で加えたほうがよいのではないか、ということなのです。
評論が宙ぶらりんになってしまうというのは、ライターさんにとっても辛いことなのではないのでしょうか。少なくとも、自分の評を読んでその作品を買い、その良さを共有してくれる人がいるということが、評論を書くということの意味だと思うのですよ。
メーカーさんが喜んでくれることでもない。もちろん監督が喜んでくれることでも、同業者が認めてくれることでもない。(いや、ごめん。それ言い過ぎ。私も素人レビューしたことあるけど、監督さんにお礼言われたらけっこう嬉しかった……( ”・ω・゛))
顔も知らない誰かに、自分の感動を伝え共有すること。それは、セルAVでいえば、その作品をお金を出して買ってくれるということ、なのではないかなあ……。


ぶっちゃけた話、セルAVユーザーの中には、レンタルビデオ店で映画のビデオを借りるついでに何本かエロビデオも借りてくか……というくらいの感覚でショップに足を運ぶ人もいると思います。AV雑誌なんか見たことはなく、監督やメーカーの名前も有名どころ2・3しか知らず、目に付いた女優がキレイなパッケージのものをなんとなく手にとるだけの人もいると思う。そういうユーザーにとって重要なのは、AVライターさんが毎月何十本と観たビデオの中から厳選して、考えて考えて書いたレビューではなく、ショップの棚に無造作に差し込まれた「おすすめ!」のカード1枚だったりする。それは否定しないし、そういう楽しみ方もまた、よいものです。


でも、今の形のAVがなくならない限り「AVファン」というものはいなくならないと思うし、AV雑誌もなくならないような気がするんですよね。まあ、希望的観測も含めて。
あ、「今の形のAVがなくならない限り」というのは、AVがPCでのダウンロードに移行していってることへの個人的な不満です(笑)。簡単で安いからサブ的(?)な形で使うのはいいけど、やっぱり画面上の操作だけで全て完結できちゃうとねー、オールドなAVファンにはつまんないんですよねー。
私は、AVはもちろん好きだけれど、なんというか、好きなだけじゃなくて、ファンなのです。AVにまつわる様々なものが、まるっと好きなのですね。
例えば、面白くてエロくてよくできたAVを観ると、すごく面白いマンガを読んだ時のような気分になる。ヒマつぶしのつもりで、ちょっと楽しもうと思ってマンガを広げたら思いがけず感動してしまって、何度も読み返したり、主人公に恋したり、誰に聞かれたわけでもないのに好きなシーンはどこだろう? と独り考えてみたり。そういうことってありませんか?
映画を観た時のようでもあるのだけれど、それよりももう少し敷居が低いかんじ。「しまった、俺感動しちゃったよ! 不覚不覚(笑)」みたいな。で、そのラフなかんじがまたイイのです。
AVファンとゆうものは、オナニーこそバリバリに致しますが(もちろんですよ! これ基本!)、女優さん(や男優さん)についてだっていろいろ知りたいものです。撮影の裏話も聞きたいし、今が旬の監督さんも知りたい。好きな女優さんの新作についていち早く情報を仕入れて、発売日をわくわくしながら待ったりしたいもの。それには、やっぱり、クリック1回、何キロバイト何ダラーの電子機器ではなく、紙媒体のもつ余裕みたいなものが、絶対に必要だと思うんですよね。


AV OPEN と D1-CLIAX。いちユーザーとしては、どちらも楽しみなお祭りです。雨宮さんに限らず、ライターさんは安いギャラでどんどん批評しまくるべきでありましょう。(嘘です。すみません。)


※余談ですが、ドグマというメーカーは、「AVユーザー」ではなく「AVファン」をとりこめるメーカーだと、おばちゃんは思います。第2回D1-CLIMAX、草葉の陰からひっそりと期待しております。
ですから、できたら、来年の6周年イベントには佐川銀次さんをゲストで呼んでください。